2015年02月15日

崖の上のポニョに見る宮崎駿の死生観

先日、「崖の上のポニョ」が金曜ロードショーで放映していたので録画。
本日、息子と妻でみました。


これまで「崖の上のポニョ」は見たことがなく、子供向けのファンタジーな楽しい映画というイメージしか持っていませんでした。

映画公開時にテレビでよく流れていた、大橋のぞみちゃんが歌っていた「崖の上のポニョ」のテーマソングも相まって、そうした印象を持っていたということもありました。


しかし、見終わって妻と顔を見合わせました。


「深い!深く、重すぎる生と死のテーマ!!」



東日本大震災以降、この映画は「津波を連想させるシーンがある」ということでテレビでの放映は無期限延期となっていたそうです。

作品を見てみて、その本当の理由がよく分かった気がします。



この作品は、登場人物たちがはっきりと「死の世界」からの視点で物語を語っているのです。


これまでの宮崎作品の中では、生死の描写は数多くありましたが、主人公が完全に死の世界への境界を踏み越えて物語が進行することはなかったように思えます。


しかも、津波の描写も相まって、東日本大震災を経験しその傷が癒えない日本人にとっては、この物語を「物語」としては見られないのではないかと思いました。

この作品が公開されたのは2008年。その当時としてはそこまで現実感はなかったのかもしれませんが、2011年の東日本大震災を経験することで、日本国民誰しもがこの物語に現実感を感じるようになってしまったのです。


ここから先は映画の内容やストーリーにも踏み込みますので、ネタバレが嫌いな方は映画をご覧になってからお読みください。


また、以下の解釈は私独自のものですので、その点はご了承ください。



主人公宗介の両親「リサ」と「耕一」について



劇中に発生する水害(災害)によって、宗介のご両親は亡くなっているのです。これは、明確な描写がありませんが、リサが宗介を一人置いて家を出るシーン。普通に考えれば、あれだけの災害の中母親が5歳の息子を一人置いて家を出るなんてことはあり得ません。

その時にリサは、自分がいなくなった後も周囲の人をしっかりと守って欲しいという母親の思い、そして宗介のことは愛しているという思いを伝えて家を出て行ってしまう。

これは、その後宗介がリサの車だけを発見するも本人がいないことや、車椅子に乗っていた老人ホームのおばあちゃんたちが突然元気になって走り回っている場所にリサがいることからも、死の暗喩なのではないかと思われます。


そしてお父さんの耕一は自分が船長を務める小金井丸の甲板で、不思議な光景を目撃します。町かと思っていた煌びやかな光は、おびただしい数の船が発する光でした。このシーンを見たときにすぐに思い出したのは「紅の豚」のシーン。

戦友のベルリーニが空高く一本延びる飛行機雲に吸い込まれていく。それはよく見ると戦場で散っていった多数の飛行機・・・。


つまり、父耕一は航海中に船ごと津波に巻き込まれ、亡くなっていると考えられるのです。



グランマンマーレが宗介とポニョが残る家の明かりを消すシーン



「今は静かにお休み子供達」といって、グランマンマーレは宗介の家の明かりを切ってしまいます。これは、宗介がリサに言われていた「宗介は家に残ってみんなの明かりになって欲しい」とする役割ができなくなった。つまり、死の世界に旅立つことだと考えられます。


ただ、ここで宗介が本当にあの世に行ったのかどうかは理解が分かれると思います。というのも、ポニョはこの世とあの世を自由に行き来できる存在として描かれているので、ポニョと行動を共にしている宗介はポニョに連れられて「あの世」を垣間見ているだけなのか、本当に死んで「あの世」に旅立っているかは判断がつかないからです。


実際に夜が明けてから、宗介とポニョの旅が始まりますが、後述するようにそこはすでにこの世ではなくなっています。



ポニョと宗介の川を進むシーン


私が予備知識なくこのシーンを見て違和感を覚えたのは、ボートを漕いでいる若い夫婦と赤ちゃんの描写。この夫婦の髪型や服装は明らかに現代のそれとは大きく異なっています。ネットで見てみると「大正風」といった表現をされている方もいらっしゃいますね。


時間軸がめちゃくちゃなのです。つまり、ここは既に「この世」ではないことになります。



ドームの中で、元気になって話しているおばあさんたちとリサのシーン


車椅子に座っていたおばあさんたちが、ものすごく元気になって走り回っている。しかも、水の中でドームに囲まれている。

ここは、明らかにこの世ではありません。

そして、リサはグランマンマーレと話をしていますが、そのときにおばあさんが一言。

「リサさんもつらいだろうに」

このセリフも非常に違和感を覚えました。リサは何に対してつらいのか、何の説明もありません。


これは完全に私の解釈ですが、リサはグランマンマーレから「宗介は人間になったポニョとこの世で過ごすからリサがいるあの世にはやってこない」という説明を受けていたのではないかと思います。



リサが最後にグランマンマーレにありがとうと伝えていたのは、宗介がこの世に戻ってポニョと暮らすことができるようにしてくれた感謝の気持ちからなのでしょう。



ラストシーンはこの世かあの世か



ラストシーンでは、宗介はリサやおばあさんと共におり、空に救難活動をしているヘリや飛行機が縦横無尽に飛び交っている。そして、そこには耕一の小金井丸も現れる。


このシーンは私はこの世だと解釈します。

その根拠として、宗介とリサの背後に大きく映る災害派遣の海上自衛隊のこんごう型イージス艦の存在があります。

ちなみにイージス艦とは、米海軍が開発し海上自衛隊も配備しているハイテク艦で、高性能な防空システムを備え、弾道ミサイル防衛の機能も併せ持っています。

さすが、兵器の描写にはこだわりのある宮崎駿!と思っていましたが、ここであえてイージス艦を登場させたのは兵器描写にこだわりがあるという理由それだけではないような気がします。


イージス艦はある意味現代兵器の象徴であり、過去の遺物ではありません。それが大写しで出てくるということは、ここは現代でありそしてこの世であるという何よりもの証左ではないかと思います。


そしてこの世でポニョは宗介にキスをして人間となる。


そうなると、なぜこのシーンで死んだはずのおばあさんたちやリサや耕一が出てくるのかと疑問に思います。


おそらく、これは彼らが輪廻転生をし魂が再生されていくことを表現しているのではないでしょうか。そう考えると、辻褄があってくるのではないかと思います。



崖の上のポニョ〜それは壮大な宮崎駿の死生観を表現した映画


一回見ただけでは、非常に分かりにくい部分もあるのですが、やはり「崖の上のポニョ」は宮崎駿が、若さと老い、そして生と死、魂の再生という死生観を表現した作品と言えるのではないでしょうか。


ただ、ここまで死の世界に踏み込んだ作品を作るようになったのはそれだけ宮崎駿も老いた証拠なのではないかと思いました(失礼)。ナウシカやラピュタやトトロのようなある意味「生」への強いエネルギーを感じさせる作品とは、大きな違いがあるように思えます。


特に最近父を亡くし、死に対してこれまで以上に考えるようになった私にとっては、タイミング的にはいささか重すぎる作品であったように思えます。









posted by DY Duke at 02:33| Comment(1) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Posted by at 2015年12月10日 21:30
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